大判例

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仙台高等裁判所 昭和44年(う)379号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金五〇、〇〇〇円に処する。

被告人において右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

控訴趣意について

論旨は要するに、本件公訴事実は被告人が昭和四三年八月一二日午前一一時一五分頃大型乗合自動車を運転して盛岡駅前広場バス発着所から同駅前車庫に向け左方ヘハンドルを切りつつ発進するに際し、同所付近はバスの乗降客等の通行が多いのに、自車の前方および左右側方を、自らはもとより同乗中の車掌にも注視させて周囲の安全を十分確認してから発進すべき業務上の注意義務を怠り、左前方の確認を欠いたまま漫然発進して左方ヘハンドルを切つた過失により、同所にいた小泉桜子(当五七年)を発見できず、自車左前部を同女に衝突、転倒させたうえ左前輪で轢過し頭蓋開放性粉砕骨折等により同女を即死させたというのであり、これに対して原判決は、本件発進に際して被告人は通常行なつている程度の安全確認の方法すなわち車掌の発車オーライの合図を聞いて運転席から右側と前とを窓越しに見たのち車体前部左角につけてあるバックミラーとアンダーミラーを見たが歩行者は視野に入らないように見えたので警笛を鳴らし発進したもので、被告人自身が発進時における左前方の注視をおろそかにしたため被害者の姿を見落したと認めるべき証拠は十分でないのでこの点に被告人の過失を認めがたく、むしろ被害者は発進当時車体左角付近の死角の範囲内にいて被告人の視野には入らなかつたと認めるべき蓋然性が高く、同乗の車掌の定位置からはその死角の範囲内はほぼ見通しうるので車掌が被害者の姿を見落して発車合図をした疑いが強いのであるが、運転手としては、道路が雑踏している場合、障害物がある場合、幼児がバスの周囲で遊んでいる場合など特に危険が予想される事情があるときは車掌に特に指示して進行の安全を確認させるべき義務があるけれども、そういう事情のない通常の発進の場合には、車掌は自らの責任においてその分担範囲の安全確認の注意をつくすべきであり、車掌がドアを閉め発車の合図をしたときは、これが信頼できないような特別な事情のない限り、運転手としては、車掌の分担する範囲の安全確認は行なわれたものと信頼して、自ら前方等の確認をなしたうえで次の動作に移ることが許されるものというべきであり、本件において車掌の発車合図を信頼すべきでなかつたと見るべきほどの事情があつたとは認められないので、死角内の安全を車掌に特に指示して確認させることなく発進した点に被告人の過失があるとすることもできない旨判示して被告人に無罪の言渡をした。しかし、バスの安全運転の責任は全般的に運転手自身が負うべきもので、車掌をして周囲の安全確認を補助させるときも両者の安全確認義務は重畳こそすれ排他的な関係にあるものではなく、唯運転手が安全確認をする限度およびその具体的方法は当該具体的状況に応じて決まり一概には論じえないだけのことであるというべきである。しかるに原判決が、車掌の同乗するバスの運行に際し、一般的に、車掌の安全確認分担範囲を認め、運転手は車掌の発車合図によりその範囲の安全確認がなされたものと信頼してよく、その合図が車掌の注意義務懈怠によるものであるとは運転手には責任がない旨判示したのは、注意義務に関する法令の解釈適用を誤つたものであり、また、特に証拠上明らかな本件事故現場の状況に照らせば本件はまさに車掌の発車合図を信頼できない場合であつたと認めるべきであるから、原判決にはこの点で事実の誤認があり、これらの違法は判決に影響を及ぼすことが明らかで、原判決は破棄を免れないというのである。

よつて記録を精査し原判決を検討するに、本件公訴事実に対し原判決がほぼ所論指摘のような理由をもつて無罪を言渡したことが明らかであるところ、原審取調べの証拠を総合して本件事故発生の状況を考査すると、ほぼ原判決が確定しているとおり、被告人は岩手中央バス株式会社盛岡営業所勤務のバス運転手として、公訴事実記載の当日、同会社の大型バス(岩2く一九一号)を車掌川村啓子と組んで運転し、盛岡市内の循環路線を走行して午前一一時一五分頃終点である盛岡駅前広場バス発着所に到着し、乗客を全部降ろしたのであるが、車掌の川村が乗客の降車を扱つている間、被告人は車体右前部の運転席に座つたまま辺りを眺めながら休んでいる状態でおり、次回の駅前発の運転時刻までにかなりの時間の余裕があるので客の降車が終り次第に同駅前の車庫へ赴き(車庫入り)、給油をして来る予定で車掌の発車合図を待つていたところ、川村は、本件バスの左側面ほぼ中央の乗降口の後脇にある車掌の定位置席に立つて降客から乗車券や現金を受け取り、十五、六名の客全部の降車が終つたので、格別顔を車外に出すこともなくそのままの姿勢でバスの左側面の前方を見たが、附近に歩行者はいないように感じたので、それ以上よくも注意せず(川村啓子は司法警察員の取調に対し「よく注意すれば附近に歩行者がいたかどうかは分つたと思います」と述べている。)、乗降口のドアを閉めて「オーライ」と叫び被告人に発車の合図をし、そのあとすぐ下を向いて乗車券等の整理にかかつたこと、被告人は、その合図を聞いて、運転席からまず右側と前を窓越しに見て、次に車体前部左角につけてあるバックミラーとアンダーミラーで左側方と前下方を見たが、いずれも歩行者は視野に入らなかつたので、駅前車庫へ向け警笛を鳴らしハンドルを左へ切りつつ発進し斜め左前方へゆつくり前進を開始したところ、車輪がようやく二回転位したかと思う時分に、左前車輪に何かを踏んだようなショックを受けたので(なお、被告人は司法警察員に対し「発進したばかりなので速度は全々出ていない」旨述べている。)、バスをすぐ停止させ降りてみると、左前車輪のすぐ後に被害者小泉桜子が顔の方を下にして頭を轢かれてうつ伏せの状態で倒れ脳組織を流出して即死したとみられる状況にあつたこと、以上の事実が明らかであるほか、事故の目撃者が得られなかつたため明確に断定することはできないにしても、こと司法警察員作成の実況見分調書二通(事故現場および死体のそれぞれ状況に関するもの)などからすると、被害者は駅舎の方を向いて立位の状態にあつたところをほぼ右後方からバスに衝突され、うつ伏せに転倒したところをバスの左前輪で頭部を轢過されたもので、右衝突地点はバスの初めの停車位置(車体左前角部)から左斜め前方に約2.55メートル進行した地点であるものと認められ、さらに、被害者は、原判決も推認しているごとく、本件バスの降客の一人で当日同市内の医院に右眼の治療に通つたあと列車で帰宅するため本件バスを利用し盛岡駅前終点で最前下車したもので、同駅舎の方へ赴くべくバスの左側面を前へ歩いて前記衝突地点に至つたものであると推認するに十分である。

なお、これらの事実は、当審における事実取調の結果ことに証人嶽間沢孝雄の供述等により一層明瞭というべきである。

ところで、本件バス(トヨタDB80一九五九年式)の運転席から見た場合の車体左前角附近の視野については、司法警察員作成の実況見分調書(昭和四三年八月一三日付)により死角の存する事実がすでに明らかであるが、さらに原審検証調書によれば、車体左前角附近に被害者の身長と同じ高さの棒を立てこれを次第に移動させてその棒の先端が肉眼ならびに車体左前角のバックミラーおよびアンダーミラーによる見通しで運転席の被告人から見えなくなる範囲、および被害者とほぼ同身長の人物を立たせ移動させてその顔が運転席の被告人から見えなくなる範囲をそれぞれ測定すると、同検証調書の添付見取図に図示されたごときかなり広範囲の各死角圏が車体の左前側方附近に認められること(すなわち、右人物がうつむいておれば顔の分だけ同人に対する死角範囲は広まるわけである。)、しかし、それら各死角の範囲内も車掌の定位置からは見通しうること、がいずれも明らかであつて、本件公訴事実に示された訴因が、「被告人において左方へハンドルを切りつつ発進するに際し自車の前方および左右側方を、自らはもちろん車掌にも注視させて周囲の安全を十分に確認してから発進すべき業務上の注意義務を怠り、左前方の確認を欠いたまま漫然発進して左方ヘハンドルを切つた過失により、同所にいた小泉桜子を発見できず、自車左前部を同女に衝突させた」としているのは、発進に際しての被告人の過失に関し、発進時に被害者が被告人の視野の範囲内にあつたものならばこれを発見しなかつた被告人自身に安全確認義務違反の過失があり、またもしその際に被害者が死角圏内にあつたものならば被告人として車掌に指示し死角圏内を注視させてその安全を確認すべき注意義務を怠つた点に被告人の過失ありとすべきである旨、発進時における被害者の位置動静に応じた被告人の過失の態様をいわば択一的に主張する趣旨と解されるのである。なるほど、弁護人指摘のように原審第一回公判調書には検察官の釈明として「被害者は最初から衝突地点に立つていたものである」との記載があり、この釈明自体は、文字どおり解せば被告人の発進時に被害者はすでに衝突地点に至つていたとの意味に解するほかなく、その位置(衝突地点、すなわちバスの左斜め前方約2.55メートルの地点)での立位の被害者は優に被告人の視野の範囲内であること明瞭である(原審検証調書の添付見取図参照)ので、あたかも原審検察官は、右釈明によつて本件訴因における過失態様を前記被告人自身の安全確認義務違反の点のみに限定したかにもみられるおそれなしとせず、現に弁護人は、原審検察官が右釈明をなしたことを根拠に、前記の車掌に死角内の安全確認をさせるべき注意義務違反の点は本件訴因の範囲外であり従つて原判決のその点に関する判断はいわば傍論にすぎないから検察官が本件控訴趣意において被告人自身の安全確認義務違反の過失を否定した原判決の認定には何ら異を唱えず原判決の右傍論と目される判断部分をのみ論難して原判決の破棄を求めているのは許されない旨主張するのであるが(弁護人の答弁書)、しかし、前記検察官の釈明を直ちに弁護人所論のごとくのみにとるのは早計であるばかりでなく、原審検察官は、右釈明のほかに、原審第三回公判調書によつて明らかなとおり証拠調終了後の意見陳述においては、被害者がバス左前側方の死角内を歩行して本件事故に遭遇したものと十分考えられる旨陳述して前記車掌に安全確認をさせるべき注意義務違反の過失についても明確に論及しているところであつて、前記のような両様の過失態様がいわば択一的なものとして共に本件訴因の範囲内に含まれること(したがつて、車掌に安全を確認させる義務違反の点に関する原判決の判断が弁護人所論のような単なる傍論ではないこと)は格別の疑いがないというべきである(被告人がこれらに関し防禦権を十分行使したことも記録に徴し明らかである。)。しかして、前認定のような本件バス運転席からの車体左前側方附近の死角の位置範囲ならびに本件事故発生の状況ことに被害者が衝突地点に至つた経路および被告人が発進に際し前方ないし左方等を肉眼ないしバックミラー等により見た限りでは何ら被害者を発見しなかつたことなどの事実関係よりすれば、被害者は、バス発進時には被告人の視野の範囲内におらず、いまだ車体左前側方附近の前記死角圏内(二様の死角圏のうちいずれかの圏内の意。以下においても同じ。)に位置し、その後バスの進行につれて(付き従う形で)被害者も前へ歩き衝突地点に至つたものであると推認するのが相当であり、この場合、すでに前記したごとく被告人自身の安全確認義務違反と被告人が車掌に安全を確認させる義務違反とに区別される以上、原判決も否定したとおり本件訴因中被告人自身の安全確認義務違反の点は証拠上認め難いといえるか、車掌をして安全を確認させる義務違反があれば結局被告人の過失責任は免れえないものというべきである。

そこで、論旨が主張する本件訴因中車掌に死角内の安全確認をさせるべき注意義務違反の点につき検討するに、およそ自動車運転者は、発進に際し、周辺の人や物に対する安全を確認しこれらに自動車を接触させないようにして発進をなすべき当然の注意義務があるが、このことは車掌を同乗させて運転する場合においても、車掌が補助者にすぎず運転者は車掌を指導監督して自ら安全運転の全般的な責任を負うべき立場にある以上、格別の変りはないものというべきである。車掌の乗務するバスの運転者について自動車運送事業等運輸規則(昭和三一年運輸省令第四四号)第三四条第二項第一号が「発車は車掌の合図によつて行なうこと」と定め、同車掌について同第三五条第四号が「発車の合図は旅客の安全及び事業用自動車の左側に、その進行に支障がないことを確認し、かつ乗降口のとびらを閉じた後に行なうこと」と定めている(なお、同規則第二七条の規定に基づき定められが見られる。)のは、旅客自動車の安全な発車進行を期するため、発車合図をするにつき車掌にも右の範囲の安全確認義務を負担させるとともに閉扉の義務を課し、他方運転者に対しては車掌の発車合図がなければ発進してはならないものと命じている趣旨なのであつて、これらの規定があるからといつて、発進に際してのバス車体左側方の安全確認はもつぱら車掌の分担する責任領域であり運転者は車掌の発車合図さえあれば左側方の安全が車掌により十分に確認されたものと直ちに信頼しこれに従い発進して差支えなく自らはその安全の確認つまり右発車合図の正確性の確認をなすべき義務はない旨論ずることの不当であることはいうまでもない。すなわち、車掌の発車合図に接した運転者は、その発進に際し、自らも可能な限り車体左側方の安全確認に努めるべき義務を免れないのであつて、唯、右注意義務の履行の限度および具体的方法については、当該具体的状況により一概には論じえず、相当性の見地からの制約も当然受けるものと解するのが相当であり、通常の場合は肉眼ならびに左側バックミラー等によつて左側方を注視確認すれば足り、車体左前側方附近に運転席からの死角範囲があつても一々車掌に指示して同部分の安全をいわば再確認させるまでの必要はなく、車掌の事実上分担した確認行為に依拠してその発車合図を信頼しても必ずしも不当とはいい難い場合もなしとしないが、これに反し、当該具体的状況によりその死角内に関して危険の発生が客観的に予想される特別の事情の存する場合について同部分が車掌の視野内に属するからとて、直ちに、車掌の発車合図をそのまま信頼して妨げないと解するのは早計であり、運転者は車掌に特に指示命令してその部分の安全を仔細に確認させ、その上での発車合図を待つて初めて発進をなすべきものと解するのが相当である。ひつきよう自動車運転者は自己の指揮下に運転の補助的業務に従事するにすぎない車掌については極めて限局された限度内でのみ信頼が許されるにとどまるべきものである。原判決で、バス発進に際し車掌の発車合図に従うほか運転者が車掌に特に指示して車体左前側方附近の死角内の安全確認をさせるべき注意義務の有無について法律的見解を示しているところは、重点の置き方に若干の差異があり、にわかに同一見解をとり難いが、前記のごとく車掌の確認行為を信頼しても必ずしも不当とはいい難い場合の存する意味においてこの点の原判決に所論注意義務の解釈適用を誤つた違法があるとまでは必ずしも認め難い。

しかし、さらに進んで所論事実誤認の主張につき考察すると、原審取調の証拠によれば、本件事故現場である盛岡駅前広場の前記会社バス発着所は、同広場のコンクリート舗装の平地に乗客の待合せ位置を指示する五本の白線を引き、各白線の先端に行先案内の標識を置いて駅舎寄りから順次一番線ないし五番線の乗り場としただけのもので、歩行者の安全地帯が発着所の周囲にはあるものの発着所内には安全地帯も乗降客の通行のため専用区劃も設けられておらず、深夜を除いて一日に多くのバスが発着するので、かねて乗降客の往来が絶えない場所であつて、この場所的特殊性は特に注意すべき点であること、被告人が同発着所に到着して本件バスを停車させた位置は、発着所内のほぼ中央で三番線の白線の手前であり、被告人は終点のため十五、六名の乗客全員を降ろして、そのあと車庫入りのため、車掌の発車合図で発進しようとしたのであるが、その間駅舎の方へ向かう降客らは、駅舎バスの右手に位置したことに駅舎中央の乗車口はバスの右前方の方角にあたる関係で、停車中の本件バスの前や後ことに前方を廻つてそちらへ向かうのが通常の状況であり、折から降車終了後間のない時点でもあるのに、その際被告人の考えた進行経路は、発着所内での通常のバス進路である前記白線沿いにそのまま直進して車庫入りするというのでなく、たまたま左前方の白線附近にバス待ち客の列も見当らないところから、従来そのような車庫入りに際し危険のないことが確認されたときは往々やつていたごとく、発進と同時に左前方へ進路を転じつつ斜めに発着所内をやや横断して車庫に向かうという経路をとるつもりであつたものであつて、この左前方への進路転向の点も特に重要な点であること(現に被告人は発進と同時に左前方へ転進し、三番線と四番線の各標識の間辺を通り抜けるべく斜めに運転進行したのである。)がそれぞれ明らかであり、これらは当審における事実取調の結果によつても一層明瞭であつて、このような事実関係に照らし考察すれば、本件被害者が前認定のような行動をとつたことすなわち本件バスから降りた同人が駅舎の方へ向かうべく被告人の発進時には未だバス左前側方附近の死角圏内に位置し、その後バスの進行につれて(付き従う形)前へ若干歩行し前記衝突地点にまで至つたというのも、バスがその際直進してさえおれば同人との衝突は生じえなかつたと認めうる状況であつたことよりすれば、同人の右行動は駅舎の方へ向う降客の一人として通常とる行動とみられるのであつて特段に責められるべき不注意、不適切な点はなく、してみると、このような左前側方附近の死角圏内に位置する降客の存在および同人のその後の歩行経路は、発進にあたり被告人の当然に予見しうるところというべく、しかも被告人は発進と同時に特に左前方への進路を転じつつ斜めに進行しようと企図していたのであるから、まさに被告人にとつては、本件発進にあたり、左前側方の死角内に関して危険の発生が客観的に予想される特別の事情があつたものと認めるに十分である。なるほど原判決認定のごとく当時バス発着所附近の人通りはバス待ちの人が若干いたほか歩行者は多くはなく、閑散な方であつたとは証拠上認められるものの、そのような事実が直ちに右結論を左右するものと到底考えられない。

してみれば、先に説示したところにより、車掌の発車合図に接した被告人がハンドルを特に左方へ切りつつ本件発進をなすに際しては、左前側方の安全確認に関し自ら肉眼やバックミラー等で注視するほか車掌の右合図に直ちに信頼依拠してよいとすることは到底できない筋合であり、被告人にはさらに車掌に指示して左前側方の死角内の安全を十分に確認させるべき業務上の注意義務があつたというべきである。そして被告人が右業務を履行していれば本件事故の発生はこれを回避することができたものと証拠上認めるに難くないというべきであるから、本件につき被告人が右注意義務の懈怠による過失の刑責を負うべきことは明らかである。

しかるに原判決は、自動車運転者が発進に際し車掌に特に指示して安全確認をさせるべき義務を負担する要件たる「特に危険が予想される事情があるとき」とは道路が雑踏している場合、障害物がある場合、幼児がバスの周囲で遊んでいる場合などであつて、本件はこれらのいずれにも該当せず、通常の発進の場合であると考えられ、車掌の発車合図を信頼すべきでなかつたと見るべきほどの事情があつたとは認められないと判示し、被告人が死角内の安全を車掌に特に指示して確認させることなぐ発進した点に過失はないとして無罪を言渡したのであつて、右は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認ひいては法令の解釈適用の誤りを冒したものというべく、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条、第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に則りさらにつぎのとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、かねてよりバス運転手として自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和四三年八月一二日午前一一時一五分頃、勤務先岩手中央バス株式会社の大型乗用自動車(トヨタDB80一九五九年式バス)(岩2く一九一号)を運転し、盛岡市盛岡駅前通一番四八号先国鉄盛岡駅前広場のバス発着所から発進するに際し、車掌川村啓子の発車合図はすでになされたものの、最前十五、六名の乗客全員を終点のため降ろし終つたばかりで、右手駅舎の方へ向かう降客らにおいて附近に専用区劃もないこととて自車前方を回つてそちらの方へ向かうのが通常の状況にあり、しかも被告人は車庫入りのためその際特に左方ヘハンドルを切りつつ発進しようと考えていたのであるから、このような場合、自動車運転者としては、これら具体的な諸状況に思いを致し、そのまま発進するにおいては折から自車左前側方附近の死角内にいることの予想される降客と左前方において衝突するに至るべきことを予見し、そのような事態の発生を回避するため、車掌に特に指示して同死角内の安全を十分に確認させるべき業務上の注意義務があるにかかわらず、被告人はこれを怠り、前方および左右側方を自ら肉眼ならびにバックミラー等で見たのみで危険はないものと軽信し、警笛を鳴らして、そのままハンドルを左方へ切りつつ漫然発進した過失により、左前方約2.55メートルの地点において、折から発進時には同死角圏内に位置しバスの進行につれて右地点に至つたものとみられる小泉桜子(当五七年)に気づかないまま自車左前部をこれに衝突させ、同女をその場に転倒させたうえ左前輪で轢過し、よつて同女をして頭蓋開放性粉砕骨折等により即死させたものである。(細野幸雄 深谷真也 桜井敏雄)

〈参照〉

第一審判決の主文ならびに理由

主文

被告人は無罪

理由

一、本件公訴事実は次のとおりである。

「被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年八月一二日午前一一時一五分頃、岩手中央バス所属の大型乗合自動車を運転し、盛岡市盛岡駅前通一番四八号先盛岡駅前広場バス発着所から、同駅前車庫に向つて左方へハンドルを切りつつ発進した際、同所付近はバスの乗降客等の通行が多いのに、自車の前方および左右側方を、自からはもちろん同乗中の車掌にも注視させて、周囲の安全を十分確認してから発進すべき業務上の注意義務を怠り、左前方の確認を欠いたまま漫然発進して左方へハンドルを切つた過失により、同所にいた小泉桜子(当五七年)を発見できず、自車左前部を同女に衝突、転倒させたうえ左前輪で轢過し、よつて同女をして頭蓋開放性粉砕骨折等により、その場で即死するに至らしめたものである。」

二、本件諸証拠を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一) 被告人は岩手中央バス株式会社盛岡営業所勤務のバス運転手であるが、右公訴事実記載の日時頃、同社の大型バス(岩2く一九一号)を車掌の川村啓子と組んで運転し、盛岡市内山賀橋線の循環路線を走行した後、終点である右公訴事実記載の盛岡駅前広場に到着し、右会社用バス発着所の三番線に引かれた白線(乗客の並ぶ位置を表示するもの)の手前で、同白線の延長からややはずれ、二番線の白線の延長部に右前部がかかる態勢で停車し、同所で十五、六人いた乗客を全部降車させた。車掌の川村がドアをあけて右乗客の降車を取扱つている間、被告人は運転席に座つたまま、四方を眺めながら休んでいる形でいたが、次の駅前発の運転時刻までに三〇分以上の時間があつたので、客の降車が終つたら、すぐ同駅前の会社の営業所に行き、給油する予定で待機していた。

(二) 車掌の川村啓子は当時四年位の経験者で、右バスの左側面ほぼ中央の乗降口の後脇の、車掌の定位置席に立つて降車客から乗車券や現金を受け取り、全部の客が降りてからバスの左側面の前方を見たが、バスに接近してくる歩行者も見えないようだつたので、乗降口のドアを閉めて「オーライ」と叫び、被告人に発車の合図をした。当時駅前広場のバス発着所付近の人通りは、バス待ちの人が若干いたほか、歩行者はたくさんはなく、閑散な方であつた。

(三) 被告人は右合図を聞いて、運転席からまず右側と前を窓越しに見て、次に車体前部左角につけてあるバックミラーとアンダーミラーを見たが、いずれも歩行者は視野に入らないように見えたので、驚笛を鳴らして発進を開始し、少しハンドルを左に切つて三番線用のバス進路をまつすぐにでなく、一路左の三番線と四番線の標識の間を通り抜けようとして運行した。ところが、約五メートル進行した時に、左前車輪になにかを踏んだようなショックを受けたので、異常に思つてすぐバスを停止させ、降りて見ると、左前車輪のすぐ後に、公訴事実記載の被害者が頭を轢かれて、うつ伏せの状態で倒れていた。

(四) 右被害者は二戸郡浄法寺町在住で、盛岡市下の橋町付近の近藤眼科医院に、右眼緑内障の治療に通つていたもので、事故当日もその治療に通つた後、被告人運転のバスに乗車して盛岡駅前で降車し、同駅に行く途中右バスの左前部付近約2.55メートルの範囲にいた際、おそらく後方から右バスに衝突されて、前記白線にほぼ平行にうつ伏せに転倒したところを、頭部を左前輪に轢過されて頭蓋開放性粉砕骨折等により即死したものであるが、いかなる状態で被告人のバスと衝突したものか、すなわち、立つて歩いていたのか、立ち止つていたのか、衝突地点にバス発進当時からいたのか、あるいは他の位置から移動して来たのか、上体を起していたのか、かがめていたのか等の点は、目撃者が得られなかつたため、これを判然とすることができない。(死体の実況見分調書によると、背面左右大腿部内側にかなりの打撲傷や出血痕数個が見られるから、その高さから見て、しやがんでいた状態ではなかつた、とは認められる。)

三、そこで右事故が、公訴事実記載のような被告人の過失、すなわち「左前方の確認を欠いたまま漫然発進して左方へハンドルを切つた過失」により起きたものであるか、換言すれば、被告人が左前方の安全確認の注意義務をつくせば被害者を発見できたはずであるのに、被告人がその注意義務をおろそかにしたものであるかどうかを検討すると、

(一) まず被告人自身が、発進時における左前方の安全確認の注視を十分につくさなかつたかという点について見ると、〈証拠〉によれば、

(1) 前認定のように、被告人が発進に際しまず右側、次に前方、次に左側バックミラー、アンダーミラー(二つが近接して取りつけられている)により左側方と前下方の安全を注視した方法は、本件のバスを運転し発進する場合の順序、方法として相当であること、問題の左前方については、前面ガラス窓の左端寄り、下方を見る位置の外に、左側バックミラー、アンダーミラーが一本の支持棒により取りつけられていて、このバックミラー、アンダーミラーを見れば、前面ガラス窓の左半分の範囲は、同時に当然に運転手の視野に入ること。

(2) ところが本件バスの車体左角付近の視野については、検証見取図に表示されるように、被害者の身長と同じ1.53メートルの棒を立ててその先端を運転席から見た場合、同図3、4、5、6、7、8、9の各点を結ぶ線、および10、11、12、13、14の各点を結ぶ線の内側はいわゆる死角に入る(前面ヘ、ト、チ、リ、ヌ、ルの各点を結ぶ線より内側は、ほぼアンダーミラーの視野に入る)ほか、被害者とほぼ同身長の人物を立たせ、その顔が運転席から見える範囲を調べると、同図A、B、C、D、9の各点を結ぶ線、およびE、F、G、Hの各点を結ぶ線より内側が死角に近くなり、その範囲は前よりも広がること。(したがつて、その人物がうつ向いたり、上体をかがめたりすれば、右運転席からの死角の範囲はさらに拡大されるであろうと考えられる。)

以上の事実が認められ、発進時において被害者がいかなる位置、状態にあつたかは前記のように不明のままであるから、立つていたとしても右二通りの死角の範囲内にいたことの可能性、さらには右死角の範囲外でも、うつ向いたり、上体をかがめていたとすれば、さらに拡大するであろう死角の範囲内にいたことの可能性は、これを否定し去ることができない。(前記のように被害者が右眼が悪かつたことからして、その可能性はかなりあると思われる。)司法警察員作成の事故現場実況見分調書添付見取図によると、本件バスのはじめの停止地点(左前角部)からやや左斜めに2.55メートル進行したところが被害者と衝突した地点となつており、これを検証見取図にあてはめてみると、被害者が本件バスの左前角からやや左斜め前方2.55メートルの地点に立つていたとするならば、前記E、F、G、Hを結ぶ線より外にあり、当然運転席からの視野に入ると認められるが、本件バスの発進当時から、被害者が右地点に普通の姿勢で立つていたことを確認すべき証拠はなく、発進当時は前記のような死角の範囲内にいて、その後衝突地点の方へ出てきたのではないかという疑いがあり、これを打ち消すに足りる証拠はないのである。(アンダーミラーや左側バックミラーの視野内にいたということは、前記のような発進後の進行方向や衝突地点の位置からすると、全く問題にならないと思われる。)

(3) 被告人は当公判廷において、自分は周囲の安全を十分確認してから発車した、左前方も見たが人の姿は見えなかつた、と弁解し、警察官の取調べに際しては、「私はその発進にかぎり特に注意して左右を確認したというのではなく、ふだんやつている程度の確認だけで、いわばふだんの気持で発進したのです。」と供述している。右供述や前記二に認定の当時の駅前広場の歩行者の状況、および右(1)、(2)で認定した各事実によつて考えると、被告人は本件発進に際し通常やつている程度の安全確認方法をとつたが、不運にも被害者は被告人の運転席からの視野には入らなかつたと認めるべき蓋然性が高いのであり、被害者が右の視野に入つていたのに、被告人が左前方の注視をおろそかにしたために、被害者を見落したのであると認めるべき証拠は十分でない。

(4) そうだとすると、次に死角内にいる歩行者について、被告人は特に気をつけてその発見に努めるべき注意義務はないか、という問題を生ずるのであるが、本件の場合は車掌が同乗しており、問題の左前方付近の死角の範囲は、車掌の定位置からはほぼ見通すことができると認められる(証人阿部和平の前記供述)ので、その安全確認は車掌がその責任を負担すべきものであると考えられる。そこで次に、被告人が「同乗中の車掌にも注視させて周囲の安全を十分確認」すべき注意義務があるのに、これを怠つたかという点につき検討すべきことになる。

(二) 右の点について考えると、車掌の川村啓子のいた定位置からは、前記のように運転席からは見えない左側面前方の部分もほぼ見通しできるのであるから、被害者は本件バスから降りてその左側面を前に歩き、バスの前を通つて駅の方に行こうとしていたものと推認されることからすると、そのバスに接近しようとする姿は当然に車掌席からの視野に入つたはずであると考えられるので、車掌の川村が左側面前方をよく見なかつたため、被害者の姿に気づかないまま発車オーライの合図をしたのではないか、という疑いは相当に高いものといわざるを得ない。しかし、証人阿部和平の前記供述、被告人の当公判廷における供述、弁護人提出の岩手中央バス「運転士服務規定」、同「車掌服務規程」等によれば、同社の一般のバス運転手と同乗の車掌との、安全確認についての相互関係の実情については、踏切通過時や後退時の場合には車掌が下車して誘導するほか、道路が雑踏している場合や、障害物がある場合は、運転手が特に車掌に命じて進行の安全を確認させることがあるが、そうでない場合はいちいち車掌に命じて下車などさせ、特に安全を確認させるということは行なわれておらず、(本件駅前広場発着所の場合もそうである)通常の発進の場合は、車掌がドアを閉め、発車の合図をすれば、運転手は車掌の分担する範囲の安全確認は行なわれたものと信頼して、前記認定のような前方等の確認後、発進の動作に入るものであることが認められ、当裁判所も本件のようなバスの通常の発進時の場合、前記のようなほか、幼時がバスの周囲で遊んでいるなど、特に危険が予想される事情があるときは、運転手は車掌に特に指示して進行の安全を確認させるべき義務があるが、そういう事情がないかぎりは、車掌は自からの責任においてその分担範囲の安全確認の注意をつくすべきであり、車掌が発進に際しドアを閉め、発車の合図をしたときは、これが信頼できないような特別な事情がないかぎり、運転手としてこれを信頼して次の動作に入ることが、通常の方法として認容されるべきものであると考える。

しかるに本件の場合は、前認定の諸事実からすると、車掌の川村啓子がドアを閉め、発車オーライの合図をしたときに、被告人においてこれを信頼すべきでなかつた、と見るべきほどの事情があつたとは認められない。そうだとすれば、被告人が前認定のように、車掌の川村の合図を聞いて前方等を注視した後、特に自己の視野の死角内に人がいないかを確かめないで発進をしたことにつき、被告人に過失があるとすることもできないのである。

(なお、被告人が三番線に平行に進もうとせず、ハンドルを左に切つて、三番線の白線を斜めに横切つて進もうとしたことが適当でなかつたか、という問題もあるが、前記のように被告人としては進行方向たる左前方につき通常の確認方法をとつた後、白線を横切つて進行し発着所外に出ることも、著るしく不適当であるとはいえないし、司法警察員作成の事故現場実況見分調書添付の現場見取図によると、はじめの停車位置は進行方向が三番線の白線よりは大きく駅側にそれていて、右白線に平行に、二番線と三番線の各白線間に進路をとるには、やはりハンドルを左に切つて進むほかはなく、しかも発進後しばらくして右三番線の白線から約九〇糎を残してこれにほぼ平行状態となつたときに、右白線よりかなり内側にいた被害者に衝突したことが認められ、右白線に平行にまつすぐ進行した場合でも衝突は避けられなかつたと考えられるから、前記被告人の進行方向のとりかたが適当でなかつたために本件事故を招いたものである、とすることもできない。)

四、以上の次第であるから、本件事故は盛岡駅前広場という、極めて見通しのよい場所で、白昼に起きた悲惨な轢過事故ではあるが、当該バスの運転手たる被告人に、公訴事実記載のような業務上の注意義務を怠つた過失があると認めるには、その証明は十分でないから、被告人に対しては刑事訴訟法第三三六条により、無罪の言渡しをすべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(昭和四四年一〇月一三日盛岡地方裁判所)

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